三浦を呆然とさせた羽生の強さ 第67期棋聖戦第三局 羽生棋聖 対 三浦五段 |
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いったい羽生のどこが強いのか、そう質問されて答えに窮する棋
その最大の原因は羽生が先を読んだ上で勝つというよりも、相手
だからかつて日浦六段が「羽生はみんなが言うほど強くない」と
振飛車を得意とする大山十五世名人は、受けつぶすことでその強
攻めと守りのバランス感覚が抜群に優れていたのは、中原永世十
ところが羽生に至っては、つかみどころがない。勝ちパターンが
終盤力が傑出していることはたしかなのだが、どうしてこうなる
ただこれが偶然でないことだけはたしかなのだ。そうしたパター
傍観者の気楽さでそんなことをふと思うこともあったのだが、そ
だが、この棋聖戦第三局で見せた羽生の強さはなんだったのだろ
「神に選ばれた者のみが、名人の座につく」とは昔からよく口にさ
相矢倉で始まった第三局は、先手羽生の棒銀、後手三浦が四筋の
強手である。平凡に穏やかに指していれば羽生の優位は揺るぎな
だが結果として羽生の指した3五銀は、勝利への決定的な一手と
その手以降終局まで、羽生の着手に応じる手を、三浦は自由に選
たとえて言えば、ボクシングの試合でチャンピョンが蝶のように
3五銀から20手あまりを三浦は指している。その20手は、控
早い話、途中からの変化手順が一切なかったのだ。変化したくと
羽生の読んだとおりに局面は進まざるを得なかった。そして気が
そのとき盤面には、まるで苦心して創られた宝玉の詰め将棋のよ
自陣にぽつりと残された1七の歩、遠見の6八の角、そして最後
副立会の富岡七段は「将棋ってこんなに綺麗に詰むもんですかね
3五銀からである。駒組だけで40手を超す相矢倉戦においては、
普通であれば、ここからまだ一山もふたやまもあっておかしくな
それは局後の念入りな検討ではじめてわかったことである。3五
この一局が三浦に与えた影響はあまりに大きい。感想戦で三浦は
終盤を迎え、トイレに立った三浦は、対局室に戻ることをためら
若手棋士同士の研究会が主流の将棋界にあって、三浦はそれを嫌
才能がある者は若い芽のうちに摘んでしまえ、それが将棋に限ら
それで思い出したのが、河口六段の著書で語られていた大山対加
第5局でそれは実行された。局面はすでに大山必勝形となり、次
おそらく加藤は大山が無理に必至を外したことを知りながらも、
そんなことをされて、平気でいられるわけがない。加藤は平常心
それ以降、加藤は大山を苦手とし、なかなか勝つことができなく
将棋界の頂点に立つものの比類なき強さを思い知らされた点では、
大山流が多少の陰湿さを持ち合わせていたのに対し、羽生のそれ
強い。とにかく強い。三浦をはじめとする若手棋士が、羽生とい
午後9時12分 三浦投了。
補足
第三局での決定的な敗局が、かえって三浦五段の開き直りを産ん
わからないものですね。
士は数多い。羽生が強いことは、誰もが知っている。だが具体的に
どこがどう強いのか説明してくれと言われても頭を抱えてしまう棋
士が多いようである。
が勝手に転んだ結果として、羽生が勝ちを拾っている印象の方が強
いせいなのかもしれない。事実終盤の羽生マジックは、相手が間違
えてくれたことで成立する場合が多かった。
断言したとき、それにうなづく棋士もかなりいたのではないだろう
か。大山や中原が全盛期を迎えたときには、その強さはたしかに際
だっていた。二人の勝ちパターンは、誰もが納得できるものだった。
さを示した。攻めても攻めても、大山は土俵を割らない。誰が見て
も受からない形であるはずなのに、大山が指せば見事に受かってし
まう。攻め疲れた相手に真綿で首を絞めるようにひたひたと迫り、
堅実に勝ちを決めるのが大山将棋だった。
段である。相手の好きなようにまわしを取らせ、ときには自由に暴
れさせながらも、隙を見て怒涛のいきおいで押し切る横綱相撲が中
原将棋だった。二人の強さは棋風によく表われていた。
なかなか見えてこない。あえていえば次のような過程を経て、勝つ
ことが多かったように思える。序盤が苦手のためか、中盤ではたい
てい相手にリードされる。そこでもさほど奇抜な手は指さず、当た
り前の手をただ繰り返す。相手は優勢は意識し始める。それが終盤
戦を迎えると、情勢が大きく変わることになる。いつのまにか逆転
している。なぜか羽生の方が一手早く、すでに相手に勝ちがない盤
面になっている。
のかという不思議な思いこそすれ、羽生が絶対的な強さを見せて勝
ったとは考えにくい。対戦相手はわけの分からない思いを味わって
いるのだろう。羽生の指した手に対し、これといった悪手を指した
わけでもないのに、なぜか負けているのだから・・・。
ンで、羽生は七冠王の座を現に掌中にしている。棋士仲間でさえも
とらえどころのない羽生の強さ、それはあまりにも不気味である。
強さの中身がわからないということは、羽生のレベルがいまの棋士
よりも一段高いことを示しているのだろうか。
れを否定したい気持ちが強かったこともたしかである。この世にそ
んな傑出した天才がいるとは、認めたくなかったせいなのかもしれ
ない。
うか。今までこれほどあからさまな強さを、羽生が披露したことは
あっただろうか。週刊将棋の福本記者は、この日の羽生を「神速流」
と名付けた。まさにこの一番にふさわしいネーミングである。
れる。この日の羽生は、人間離れした将棋を、ひとつの芸術作品の
ように完成させたのである。それは将棋の神にしか成し得ない棋譜
であったように思える。
位をとり左銀を繰り出す構えとなった。ここで羽生は2六に出た銀
を再び3七に引き戻すという斬新な発想(新手らしい)を見せる。
中盤に三浦の緩手が出ると、局面は羽生有利に傾く。そして65手
目、運命の3五銀が指された。
かったものを、羽生の選んだ着手は予想外の強気の手だった。強手
は当然ながらリスクをともなう。相手にも反撃のチャンスを与える
ことになり、一歩間違えば逆転される危険性と背中合わせになるか
らだ。
なった。専門用語で言えば、すでに筋に入っていたのである。ここ
からはどう指しても、三浦に勝ちがなかったのだ。
ぶことさえ許されなかった。「ああ来ればこう指す」を、ただ繰り
返したにすぎない。こう指すの「こう」が、盤上この一手という必
然手でしかなかった。
舞いながら、右へ左へとパンチを繰り出したとき、あまりに鋭いパ
ンチに挑戦者はなす術もなく、ダメージを少しでも避けるために、
パンチの流れに沿って右へ左へと身体を傾ける状態に似ている。そ
うして連打され続けた果てにダウンを喫する、そんな惨めな有り様
だった。
え室でのプロの予想した手と、寸分違わぬものだった。誰が指して
も、それ以外指しようがなかった証拠である。
も、そんな手を指したなら一遍に負かされることが明らかな手順ば
かりだった。
ついてみれば、鮮やかな終息のときが待っていた。羽生が王手を連
発しながら三浦玉に迫ってより13手目、3五銀から数えて38手
目、三浦は投了を告げた。
うな華麗な即詰めが、描かれていたのである。それはひとつの芸術
作品とも言えるほどの投了図であった。
に駒台に残された一歩、どれひとつが欠けても詰むことはない。盤
上にある羽生の駒は、どれもすべてが生きている。ひとつとして無
駄がない。絵に描いたような詰め将棋である。
え」と感嘆していたという。では、こんな見事な詰め上がり図を、
羽生はどこから頭の中に描いていたのだろうか。
65手目の局面はまだ中盤の難所である。そんな局面からいきなり
相手玉を詰ます図面を描ける棋士が、いったい何人いるだろうか。
ところが羽生は描いていた。すでに3五銀を指した時点で、そこ
から50手ほど先に現れる詰み上がり図を、羽生ははっきりと見て
いたことになる。そうでなければ、危険すぎて指すことのできない
3五銀である。
い局面である。ことに素人の目から見れば、どちらが優勢なのか、
まだはっきりしない局面である。しかし、局後のプロの検討からす
れば、すでに3五銀の時点で将棋が終っていたというのだから驚く
ほかない。
銀が指されたときに、これで羽生が勝ったと悟っていた棋士は、一
人もいなかったに違いない。ただ羽生一人だけをのぞいて・・・。
なんという強さだろうか。ただただ驚くばかりである。
「変化の仕様がなかった」とつぶやいている。すでに選択肢がなく、
即詰めまで一本道であることを悟り、三浦はどれほどのショックを
受けたことだろうか。
い、呆然と廊下に立ち尽くしていたという。
い、自分の力だけを信じて駆け上がってきた棋士である。格の違い
を見せつけられたこの一局が、三浦のプライドを打ち砕いたことは
間違いない。
ない勝負の世界の鉄則である。大山十五世名人が長きに渡ってタイ
トルを守ったのも、この鉄則を忠実に果たしたからである。
藤一二三の昭和34年の名人戦である。神武以来の天才と言われた
加藤は当時若干二十歳。大山としてはなんとしても今のうちに、こ
の天才少年を痛めつける必要があった。
の一手で素人目にもわかる必至をかければ、加藤の投了は明らかだ
った。だが指さなかった。大山はあえて敵の息の根を止めなかった。
希望を託し指し続けたのではないだろうか。逆転の望みをかけひた
すら辛抱を重ねる。だが大山はことごとく加藤の狙い筋を消して行
く。そのうえで、まるで猫がねずみをなぶり殺すことをできるだけ
長く楽しむかのように、手数を引き伸ばしていく。
を失い、ボロボロの手を指し続ける。本来の必至場面から永遠百数
十手も、将棋は続いたのだ。その間加藤は、心の中で何度敗北を味
わったことだろうか。たったひとつの将棋のなかで、加藤は数え切
れないほどの力の差を、大山から知らされたのである。
なった。あの敗戦がなければ、加藤はもっと早くに名人位を奪えた
かもしれないのだ。
そのときの加藤と今回の三浦とは似通っている。ただその強さの内
容はまったく異なる。
は、華麗の一言につきる。最短手数で勝つという将棋の美学にも通
じるものがある。
う将棋の神を破るのはいつの日のことだろうか。
第67期 棋聖戦五番勝負 第三局
’96年7月8日(月) 神奈川県・鶴巻温泉「陣屋」にて
羽生善治棋聖 ○ 対 ● 三浦弘之五段
持ち時間各5時間 残り時間:羽生21分/三浦26分
これで対戦成績は羽生の二勝一敗。
このあと三浦は2連勝し、羽生棋聖から棋聖位を奪うことに成功
しました。予想とはだいぶ異なる結果となってしまいました。
だようです。