王を詰ますことの意味について 
  


 さて、各国によって将棋に違いがあることは説明したとおりです
が、どうすれば勝ちになるのかは、基本的に変りありません。王将
を詰ませばいいだけのことです。

「王将が詰む」とは、相手の駒が、放っておいたら次にあなたの王
将を取りますよ、という位置に進んできたとき(いわゆる「王手」)、
それを防ぐことも、どこへ逃げることもできなくなった状態のこと
をいいます。

 つまり「詰み」とは、いわば本能寺で織田信長が炎にまかれ自刃
する以外方法のなくなった状態であり、四面楚歌のなか項羽が呆然
と立ち尽くしている状態を指すわけです。こうなっては、もう負け
です。合戦では大将の首が取られたら、負けなんです。

 このことも、史実を忠実に反映しています。織田信長の桶狭間の
決戦などは、そのいい例でしょう。当時、今川義元は二万五千の兵
をおこし、尾張に侵攻しました。一方、信長の集められる兵は三千
に過ぎず、とても勝負にはなりません。

 策に窮した信長は、わずかな手勢を率い義元の本陣を奇襲します。
これが功をなし、義元の首をはねることに成功したのです。戦いは
その時点で終了しました。今川軍は総大将である義元が死んだと知
ると、あわてて自領に引き上げていったのです。

 数だけで考えるなら、今川軍は義元が死んでもまだ圧倒的な軍勢
をもっていたわけですから、本気で織田軍に襲いかかるなら信長の
命はまずなかったに違いありません。しかし、それは現実には不可
能なことでした。

 別に今川の武将たちは、尾張が憎くて戦争を仕掛けたのではあり
ません。義元の上洛の夢を果たし恩賞に預かるために、懸命に働い
ていたに過ぎません。その義元が死んだとなれば、信長軍を全滅さ
せたとしても、誰から恩賞をもらえばよいのかわかりません。戦闘
意欲をなくし、さっさと国元へ引き上げるのは当然のことでした。

 だからこそ、兵力にどれだけの差があろうと大将の首をとれば勝
ちとなる、これが将棋の考え方です。

 あなたが敵に囲まれもはや風前の灯火であったとしても、そこに
早馬がかけつけ、敵の大将が討ち取られたことを告げれば、その時
点で戦は終わりです。敵は早々に囲いをほどき、逃げ帰っていくで
しょう。一手の違いであろうとも、先に相手方の王将を詰ませた方
が、勝ちなのです。

 ではどちらも詰まなければどうなるのでしょうか。将棋には手数
制限はありません。一定の時間が過ぎたあたりで、判定により優勢
な側を勝ちとする、なんてルールももちろんありません。詰むまで
続けるのが、当たり前です。

 ただし、双方入玉という制度があります。これは双方の王将が敵
陣にまで深く入り込み、共にもはや絶対に詰みのなくなった状態を
指します。この場合に限っては変則的に、優勢な側を勝ちとします。
 簡単に言えば、駒を相手よりたくさん取った側を勝ちとします。
ただこのあたりは、多少複雑なルールがありますので、将棋のルー
ルについて書かれたページ
を参照してください。千日手による引き
分けや、禁じ手による負け、持ち時間切れによる負けなども、例外
の部類に入るでしょう。

 ところで将棋は相手玉を詰ました時点で終わりであり、その王将
を取ることはしません。また、取った駒はそのまま自分の側として
使えるわけであり、死なせているわけではありません。考えてみれ
ば将棋は、実に平和なゲームだとは思いませんか。盤上では誰も血
を流しません。すべての駒が生きたまま、戦いを終えることができ
るのですから・・・。

 まぁもっともはじめのうちは、自分の王将が王手されていること
に気づかず、他の手を指してしまい、王様を取られてしまうことも
ありそうですね。「王手なら王手ってちゃんと言ってよ」なんて文
句を言う人もたまにいるようですが、「王手」と宣言しなければい
けないなんていうルールはありませんよ。トランプのページワンで
はないんですから。

 ちなみに将棋を指しているとき、一人が大声で「おい、よく見た
ら俺の王様がどこにもいねぇじゃねぇか。どうなってんだ」と叫ぶ
と、相方が「ああ、それならさっき王手飛車取りをかけたときにお
前が飛車を逃がしたんで、王様は取らせてもらったよ」なんていう
落語がありましたね。


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