薬害エイズのふたつの謎をとく 
  


 七年に渡ったHIV訴訟の和解が成立した。菅厚生大臣による謝
罪、ミドリ十字幹部による土下座をへて、三月二十九日、国と製薬
会社五社と原告団との間に、和解の調印がなされた。原告団の全面
勝利である。

 スモン訴訟、水俣病訴訟においても、国は全面的な加害責任を認
めていないことを考えれば、HIV訴訟のもつ意味はあまりに大き
い。

 薬害エイズはなにも日本だけに発生したわけではない。被害は世
界各地に広がっている。世界で十万人はいるといわれる血友病患者
のうち、およそ四万人が被害にあったと伝えられているのだ。問題
は厚生省の対応の遅さにある。

 たしかにエイズ自体昔から知られた疫病ではなく、当初は血液感
染の事実すらも確認されてはいなかった。その意味では、未知の出
来事への対応が遅れたことに、情状酌量の余地も残されている。

 ただ調べれば調べるほどに、日本で起きた薬害エイズ禍が単なる
ミスや不手際を通り超し、悪意に満ちたものであることが浮彫りに
なってくるからこそ問題なのだ。

 エイズが血液製剤を通じて伝染する可能性が高いことについては、
すでに一九八二年の時点で、アメリカが警告を発している。

 八三年に入るとアメリカではNHF(米国血友病財団)が「血友
病患者をエイズから保護するための勧告」を発表。また同年三月に
は、FDA(米国食品医薬品局)が加熱製剤を承認している。HI
Vウイルスは熱に弱いことから、加熱処理をすればウイルスを殺す
ことができるからだ。

 それを見て危機感を覚えたのだろう。六月には血友病の権威安部
英帝京大教授を班長とするエイズ研究班が発足する。安部氏はかね
てより、輸入非加熱製剤によるエイズ禍の危険性を主張していた。

 そうして慎重な会議を重ねた結果、厚生省はひとつの結論に達す
る。血友病患者をエイズから守るために加熱製剤を承認し、輸入す
る。非加熱製剤は行政指導により取り扱わないようにする、という
内容であった八三年、七月四日の時点の原案である。

 ここまでは問題ない。エイズ研究班の発足がアメリカに比べ遅す
ぎたことはたしかだが、まだ日本へのエイズ上陸が正式に確認され
ていなかったことも事実だ。この原案がそのまま施行されていたの
なら、実際に多くの血友病患者が救われたはずである。日本の血友
病患者五千人のうち、二千人がエイズに感染させられ、すでに四百
人が死亡。現在も五日に一人の割合で亡くなるという悲劇は、避け
られたはずである。

 ところが事件はそれから一週間後に起こった。厚生省の方針が、
百八十度変わり、七月十一日には、非加熱製剤の輸入禁止は行わな
い、加熱製剤は承認しない、という方針が決定されたのである。と
きを同じくして安部氏の言動もがらりと変わる。非加熱製剤による
エイズの危険率は〇・一パーセントと主張し始めたのだ。

 これが問題の「謎の一週間」である。人命尊重という見地に立て
ば、当たり前ともいえる四日の時点の方針が、なぜか一週間ののち
には裏返しとなる。これはどう見てもおかしい。そこに政・官・財
の癒着があったのではないかと、誰でも勘ぐりたくなる。

 もしこの時点で加熱製剤が承認されていたなら、もっとも被害を
受けるのは製薬会社であった。なにしろすでに非加熱製剤を大量に
抱え込んでいる。在庫を抱えたまま、それを捨てるしかないとした
ら大損害である。ことに国内最大シェアを誇っていたミドリ十字に
とっては、死活を分ける大問題であったはずだ。

 ミドリ十字には社長を含め、厚生省から五人の役人が天下ってい
た。この事実を見逃すわけにはいかない。

 さらにミドリ十字という企業のもつ体質も考慮する必要がある。
かつて日本が先進国で唯一の買血王国であった頃、ドヤ街で働く
人々を餌食に、医学的な限界を超えて買血に明け暮れた企業があっ
た。そのためドヤ街では貧血に倒れる人や、廃人があふれることに
なり、世間の非難が集中したのである。それがミドリ十字の前身
「日本ブラッドバンク」である。

 この日ブラこそは、戦後GHQの保護のもと、七三一部隊にいた
医師たちを中心に結成された企業である。ミドリ十字自体に、人命
よりも経済利益を優先する構造が、今もなお染み着いているように
思えてならない。

 厚生省がようやく加熱製剤を承認したのは、八五年七月のことだ
った。だが、ここでも厚生省は悪意に満ちたポカを見せる。非加熱
製剤を強制的に回収させなかったことである。このため、利潤を第
一の目的に掲げる製薬会社とそれと結託する医師たちは、あたかも
在庫一掃を計るかのように、非加熱製剤をなお、患者に投与し続け
たのである。

 また加熱製剤の承認が遅れた背景については、四月五日に新たに
公表された厚生省の資料によれば、国内メーカーが加熱製剤を開発
する時間をかせぐために、安部氏がわざと臨床試験を遅らせていた
形跡が読みとれる。

 ミドリ十字の加熱製剤の申請が、他のメーカーに比べ遅れていた
からである。臨床試験が遅れた理由を現時点で断定することはでき
ない。ただし疑惑は残されている。当時一番進んだ技術をもってい
たミドリ十字が、加熱製剤の開発にそれほど手こずっていたとは考
えにくい。ミドリ十字は、アメリカで売れなくなった加熱製剤をダ
ンピングして大量に仕入れていたために、それを日本国内で売り尽
くすまで時間かせぎをしたのではないか、という疑惑がもたれてい
る。

 何やら七三一の亡霊が、現代の日本を我がもの顔で闊歩している
気がしてならない。このままでは第二、第三の薬害が発生すること
は目に見えて明らかだ。

 今後二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、真相の究明は徹底
して行われるべきである。そして、資本主義の弊害である企業の論
理の暴走を押し止めるためには、私たち一人ひとりが監視の目を怠
らないことである。

 菅厚相が語ったように、「和解成立は、スタートにすぎない」の
だから。

(ドン・ヤマモト)



薬害エイズ訴訟について知りたい方は、このドアをノックしてください。

南信州ペン倶楽部のホームページにもどる

DON-SPS のホームページへもどる